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昭和12年北支事変に招集され天津にて負傷、右手が使用できない。傷痍軍人となり治療に励む。 |
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治療のため東京陸軍病院を始め、リハビリのため鳥取県皆生温泉・三朝温泉・城崎温泉・和歌山の白浜温泉等に療養を続け、切断の難は免れた。(13〜16年)
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左手両足、頭で出来る職業選びに頭を悩ます。 |
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和歌山県師範学校内の教員養成所に入所。(17〜18年) |
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岡山県師範学校小学校訓導養成所入所(18〜19年) (体のハンデイは心にも大きくひびいてくる)
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昭和19年船坂小学校就職 (他の職員より10年遅れの差が有り)
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退職して京都梅津小学校に勤め、大学を目指す。(20〜24年)
(終戦後の食糧難に心身共に疲れ果て帰郷のやむなきに) |
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郷里淡河小学校就職(24〜32年) |
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昭和33年神戸市に合併され市内へ転勤 |
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施設の児童・心障児に出逢う。その教育に熱を入れる(施設を開くきっかけ)
(33〜41年)
心障児との生活に夢と希望。 設立に心身共に励む。(41〜42年) |
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昭和42年小学校退職。開園の目途がつく。 |
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昭和43年8月1日開園。法人認可。(総て私費) |
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昭和43年2月14日 朝日新聞神戸版に取り上げられる。 |
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あとは法人の沿革となり法人に記録される。 |
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平成5年4月29日 勲六等単光旭日章を受ける。 |
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昭和43年8月1日より現在 当法人理事長に就く。 |